NHK大河ドラマ:青天を衝け(渋沢栄一)(第9話)4月11日「栄一と桜田門外の変」

大河ドラマ
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尊皇攘夷の思考が広まる中、江戸幕府はどのように動くのか

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青天を衝け「栄一と桜田門外の変」第9話

徳川家康が登場!

「こんばんは、徳川家康です。時は安政5年。この頃、尊皇攘夷の思想が広まっていた」

中国の朱子学にあったスローガンを日本風に置き換えた考え方だった

時の帝、孝明天皇もこのスローガンが好きだった

井伊直弼の対抗として、斉昭への期待が高まり

このままでは潰されるとして、井伊直弼は朝廷とつながる水戸藩主や攘夷派を徹底的に処分した

その手は、徳川慶喜を将軍にしようとした人たちにも及んでいた

この時に越前の橋本左内なども北町出頭所に連れて行かれ、岩瀬や永井にも

そして、徳川慶喜も謹慎処分となり、謹慎中だった斉昭にも生涯水戸にこもることが命じられた

祝言から1年たった栄一と千代

長七郎が帰ってきた

栄一郎が村の仲間を集め、江戸の街の現状を伝える

江戸は乱れている、偉人の運び入れたころりという病気が流行っていると伝える

長七郎の話を聞き、栄一も喜作も江戸にいきたいと強く思うようになる

農民の自分でも・・と。

栄一は千代へ話す。どうしたら、自分でもこの世を変えていけるのかと。

代官や将軍、殿を倒しても、システムが変わらなければ何も変わらないのだと気がつくのである

幕府を変えるには、この世を変えるには、どうしたらいいのかと悩みつつ

栄一は未来へ向けて期待を膨らますのである

そして、徳川慶喜は隠居の謹慎処分を受け、徹底的に謹慎をして過ごしていた。

風呂にも入らず、外にもでず。

慶喜と平岡・・どう生きていくのか

平岡は謹慎中の徳川慶喜と離れ、江戸から離れ生活することになる

これが、後に安政の大獄と呼ばれる井伊直弼の弾圧政策である

公卿や大名など優秀な人材を100人以上を処罰し

この時に、橋本左内や吉田松陰など多くの志士を死に追いやり

日本中に暗い影を落としていた

井伊直弼は朝廷をどうするかと画策する

上様の結婚、孝明天皇の娘である和宮親子内親王との結婚である

岩倉具視が、孝明天皇に話す。この結婚で徳川をいのままに攘夷をするように動かせると図る

日本中で、尊皇攘夷の思想がさらに広がっていく

幕府が朝廷への不敬を繰り返すことで、尊皇攘夷の志士たちが過激化

イギリス公使館の通訳殺害が東禅寺で起こったり、

オランダ人船長が惨殺されるなど相次いで外国人が襲われる事件が起こった

江戸はあれ、井伊直弼は恨まれ

そして、事件が起こる

雪の日・・

井伊直弼の一行が襲われ惨殺された

これば、後に言われる桜田門外の変である

弾圧され続けた水戸藩による反抗であったが、当時すぐに公表されずにいたが

これで水戸は敵持ちになってしまったのである。水戸は正義なのか、悪なのか。

そんな中、喜作が前より行きたいと懇願していた江戸に行けることになった。

そして、斉昭が倒れる。まだ慶喜は謹慎処分・・

斉昭がいなくなり、敵持ちとなってしまった水戸藩はどうなるのか。。

慶喜は実父の葬儀にも出席することはできなかった。

そして、栄一は喜作が江戸に行けることになったことで、自分も江戸に行きたいとさらに強く思うようになっていたのである、そしてついに

父様に「春のいっときだけでいい、俺を江戸に行かせてほしい」と頼むである。

大河ドラマの今

【桜田門】

東京都千代田区

桜田門は大名が登城する際に用いた門のひとつ

井伊直弼の屋敷は桜田門の近くにある

【井伊掃部頭低跡】

直弼は屋敷から江戸城に向かう短い道中で

水戸脱藩浪士などに襲撃された

襲撃から数分で命を落としていたが

その死は伏せられて

公式の記録では病死と示されている

【天寧寺:井伊直弼の遺品先】

井伊直弼の遺品は、密かに

滋賀県の彦根市にある天寧寺に持ち帰られていた

今も、桜田門外の変で襲撃を受けた時

籠の中で直弼に座っていた座布団が残されている

井伊直弼が倒されたことで、幕府の行く末が大きく変わっていったのである。

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