
湾岸戦争は何をもたらしたのか、私たちはどんな教訓を得ることができるのでしょうか。
2月3日の時論公論~湾岸戦争から30年
①世界秩序の変化
冷戦が続き、冷戦後には平和が訪れると考えられていた
1991年1月17日に湾岸戦争が起こった
クウェートを占領したイラク軍にアメリカを中心とする多国籍軍がミサイルを撃ち込む姿が、初めて生中継で世界中に伝えられ、劇場型の戦争と呼ばれた
2月23日に地上戦が始まり、5日後に戦争が終結した
多国籍軍には、アメリカを中心に北南米、アラブ、欧州、アジア、アフリカ、ソ連も支持した
世界がアメリカの意向に従い、アメリカの一極支配を認めるような形となった
アメリカの一極支配は長く続かなかった
サウジアラビアではアメリカ軍兵士が我が物顔で振舞うようになり
サウジアラビアのビンラディンがアルカイダを率いて反米活動を起こすようになった
1998年、ケニアやタンザニアのアメリカ大使館を爆破しテロを起こした
2001年にはアメリカ本土で同時多発テロが起こった
アメリカはアルカイダをかくまったとし、アフガニスタンのタリバン政権を攻撃して崩壊させ
2003年には、イラク戦争が起こり、フセイン政権も崩壊させた
この行動に、ヨーロッパからも反発され、アメリカへの反発活動が高まってくるようになり
さらにテロが頻発するようになった
こうして、アメリカの求心力が大きく低下していったのである
冷戦の終結により、世界に平和が訪れると思われたが
冷戦終結後、世界の武力紛争は再び活発化されていっている
国会間ではなく、地域紛争や宗教、宗派対立、過激派などの「非対称の戦争」が増加しているのである
アメリカの影響力の低下もあり、シリアやアフガニスタンのように戦争が長期化する傾向にある
アメリカには世界を抑える力がなく、アメリカの代わりにロシアや中国が台頭してきてもいる
国連を中心とした国際社会での結束が必要だが、国連は機能不全の状態に陥り
シリア紛争がいまだ終結の目途が立たず、ロシアのクリミア戦争に何ら対策をすることもできなかった
②日本の国際貢献と安全保障
湾岸戦争を通して、日本の外交に対して課題が大きく上がった
湾岸戦争で日本は多国籍軍に130億ドル(当時のレートで1兆80000億)もの拠出しながら、人的貢献がなかったことから小切手外交と揶揄された
戦争後に、クウェート政府からのアメリカの新聞で発表された感謝の広告に日本の名前がなかったことから、日本の外交の敗戦だとも言われた
そのため戦争の翌年、1992年に自衛隊のPKO協力法を成立させ自衛隊が海外の支援活動(国連平和維持活動)が積極的にできるようになった
今ではアフリカや中東へ派遣されるようになった
冷戦が終結した後、安全保障をめぐる議論が進まなかったが、湾岸戦争を機に日米安保の議論が活発化するようになった、周辺事態法成立へつながった
③危機下における情報の発信
湾岸戦争を通して、わかった事実として
危機的状況下では事実が歪められることを教訓として残した
世界がフェイクニュースに翻弄された
米軍:油まみれの重油流出
イラク軍が石油施設を破壊して身動きがとれないように報道し、野蛮なイラクの行動のように報道されたが、戦争後実際にはアメリカ軍が攻撃したために流出したものだと判明した
プロパガンダの存在:つくり話でイラクへの攻撃を促す
戦争後の取材で、フェイクニュースやプロパガンダの存在が明らかになった
12年後のイラク戦争でも
イラク軍が「大量破壊兵器を保有している」というアメリカの主張を十分な検証をせずに戦争を支持してしまっていた
イギリスでは、戦争後に徹底的な検証を行い、事実でないことを支持して戦争に参加したとしてブレア首相が退任した
しかし、日本では検証を実施しなかった

日本でも正確で的確な情報を収集し分析を実施、日本の立場を世界に強く発信していくことが重要です
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